2016年01月02日 (土) 15:06:00

年をまたいだ今週の読書は『ロボットの脅威』ほか

正月2日ながら、土曜日ですので読書感想文を書いておかないと溜まってしまいかねません。年末年始休みでしたので時間はありましたが、仕事上にも有益であろうと考えられる「課題図書」的な読書もあったりしました。マーティン・フォードの『ロボットの脅威』ほか、以下の通りです。

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まず、マーティン・フォード『ロボットの脅威』(日本経済新聞出版社) です。著者はコンピュータ工学部卒業の企業経営者、未来学者であり、前著の『テクノロジーが雇用の75%を奪う』は昨年2015年5月30日付けの読書感想文で取り上げています。本書も前著と同じ問題意識なんですが、よりターゲットを絞ってロボットや特に人工知能AIを中心に、前著と同じように工学的な技術の進歩が自然人たる我々人間の職を奪い、所得を激減させる可能性を議論しています。前著は2009年に原書が出版され数年遅れの翻訳でしたが、本書の原書は2015年の出版ですから、時を置かずに邦訳が出ています。前著の感想文にも書きましたが、生産性が向上する一方で労働時間の短縮は進まず、機械化や自動化の進展とともに非正規雇用ばかりが増加し、その裏側では本書が指摘するように、雇用者の所得が伸び悩んだり、あるいは、日本などでは減少したりしています。本書では工学的な技術問題だけでなく、経済学的な所得上の問題点についてはベーシック・インカムによる解決の方向が模索されています。第8章では思考実験として、極めて勤労意欲高くしかも賃金不要な異星人が地球に来襲して我々地球人の職と所得を奪うという例え話が披露されていますが、異星人の登場を必要とせず、この地球上の世界でも歴史上に奴隷制という時代があったことを思い起こさせます。私は自然人による労働がほとんど不要で、それでありながら製品やサービスが豊富に生産されるとすれば、マルクス主義的な観点からは共産主義的な分配が可能になるんではないかと期待しています。ですから、ベーシック・インカムがいいかどうかは疑問なしとしませんが、大きな労働投入が不要になり、かつ、生産が人々の欲求を満たすに足りるくらいの高水準の産出をもたらす社会の問題点は、おそらく分配なんだろうと直感的に考えています。最後に、以下の日経新聞の書評もご参考まで。


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次に、宮内惇至『金融危機とバーゼル規制の経済学』(勁草書房) です。著者は日銀OBであり、考査畑が長かったんでしょうか、決済機構局長経験者です。現在はお茶の水大学の特任教授という、よくわけの分からないポストなんですが、何度も「お茶の水大学の研究室にて」と書いていますので、著者にとっては誇らしいポストなんだろうと思います。ということで、前置きが長くなりましたが、タイトル通りの本です。でも、プルーデンス政策を極めて狭義にしか捉えられず、ほぼ実務の世界からだけ見ているようで、少し違和感がありました。というのは、プルーデンスだけでなく規制政策として重要なのは、規制のない状態で達成される市場均衡をいかにして規制で歪めるか、あるいは、「歪める」という言葉が不適当であれば、均衡をずらすか、という点です。この市場均衡と規制均衡の意味がよく理解されていないような気がします。マクロプルーデンスについても可変的自己資本規制など限られた論点だけを恣意的に取り上げている印象があります。プルーデンス政策は何よりもバランスが重要であり、ギシギシに締め上げてイノベーションの芽を摘むことを避けつつ、大きなリスクの顕在化を避ける必要があるわけで、システミック・リスクさえ回避できればいいというものではありません。もちろん、金融業や金融機関の営業実態に合わせた規制が必要なわけであり、英米流のマーチャント・バンクとインベストメント・バンクを分割した規制もあれば、大陸欧州のようなユニバーサル・バンキングに対する規制もあります。その意味で、本書でまったく触れられていないんですが、米国の投資銀行が持株会社化して連邦準備制度理事会(FED)の監督下に入ったというのは、準備預金を通じた規制を受けるという意味であり、私自身はあらゆる金融機関、すなわち、預金を受け入れて信用創造できるマーチャント・バンクだけでなく、日本の証券会社に当たる投資銀行、さらに、機関投資家に当たる生保や損保、もちろん、各種のファンドなども準備預金、日本独自の用語によれば日銀当座預金を通じた何らかのプルーデンス規制当局からのコントロールが不可欠と考えていますが、その点については言及がありません。物足りない印象です。日銀の経験者には、その昔の「ヤキトリ」にしたりや何やで、市中銀行を締め上げていた記憶があるんではないでしょうか。いずれにせよ、カタカナであふれた本書を見れば、経済政策の本体以上に輸入の部分が大きく、英米をはじめとする諸外国から大きく遅れた日本のプルーデンス政策ですので、それなりのキャッチアップが必要です。その際に、「ヤキトリ」は別にしても、日本特有の慣行まで含めたきめ細かな制度設計が求められます。例えば、諸外国でもそうなのかもしれませんが、日本ではセルサイドの証券会社とバイサイドの機関投資家である生保やファンドの力関係がセルサイドに偏っています。こういった日本の特徴も踏まえたプルーデンス規制についての議論も必要ではないでしょうか。私のような専門外のエコノミストに本書はそれなりに勉強にはなりますが、やや著者の実務経験という強い自覚からか、かなり偏った印象を受けました。ほとんど数式の展開がありませんし、学術書ではないとしても、かえって理解が進まないような気がしないでもありません。数学もまた言葉なり、です。

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次に、マーク・アダムス『アトランティスへの旅』(青土社) です。一応、本書は米国人ジャーナリストの著者によるノンフィクション、ということになっているんですが、そもそもアトランティス大陸の実在性については疑問だらけであり、大元がフィクションに近いんではないかという印象があります。それはさておき、いろんな場所でいろんな人にインタビューし、本書のインタビュー内容自体はノンフィクションなんだろうと思います。冒頭の p.24 でプラトンがアトランティスについて言及したのは「高貴な嘘」(ノーブル・ライ)ではなかろうか、というインタビューから始まっていますから、著者はその前提で議論を始めているつもりなのかもしれません。ですから、どこまでまじめに問題意識をもって読むかにも依存しますが、極東の地である日本からまったく専門外の私なんぞが読めば、それはそれで楽しくロマンティックな冒険談として受け入れることも可能です。そうでなければ、ウンベルト・エーコ教授による『バウドリーノ』の法螺話くらいに低く評価する人がいても不思議ではない気もします。コナン・ドイル卿のシャーロック・ホームズ物語に対して、完全にフィクションと割り切った上でシャーロッキアン諸氏がいろいろと研究して議論を闘わせるように、アトランティス大陸についても不存在を前提としたアトランティス学が成立するのかもしれません。私のようなアジアに住む門外漢が、それにお付き合いする必要はないのかもしれませんが、まあ、知的なお遊びと考えるべきなのでしょう。

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次に、篠田節子『となりのセレブたち』(新潮社) です。私はこの著者については最近の作品しか読んでいないんですが、本書は前世紀の1999年や2000年に公表された短編も含む5編を「セレブ」という、やや怪しげなテーマのもとに編んでいます。収録短編は「トマトマジック」、「蒼猫のいる家」、「ヒーラー」、「人格再編」、「クラウディア」です。動物を登場させた「蒼猫のいる家」と「クラウディア」の2編もそうなのかもしれませんが、他の3編はまったくのSFといえます。怪しげなドライ・フルーツとアルコールを同時に摂取して願望を満たす夢を見る「トマトマジック」、キャリア・ウーマンの妻が不倫をして家を出る際に、まったく生理的に受け付けないハズのネコを抱いて家を出る「蒼猫のいる家」、おそらく架空の吹き流しなる深海魚が女性のアンチエイジングに効果をもたらすとともに、男性にも飛んでもない使われ方をする「ヒーラー」、気の利いた企業やそれなりの能力ある人間が日本を見捨てて海外に出たため、やや問題ある人間だけが残った日本で高齢者の人格を再編する脳外科手術が実施される「人格再編」、売れないカメラマンが同棲していた女性の自宅から追い出され、その女性の飼い犬のクラウディアと山小屋で暮らし始める「クラウディア」と、5編とも基本はコメディとして書かれているような気がするんですが、よく読むと哀れで悲しげなストーリーなのかもしれません。5編の短編のうち、私が男性だからというわけでもないんですが、圧倒的に「ヒーラー」を面白く読みました。

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次に、真梨幸子『アルテーミスの采配』(幻冬舎) です。著者は私の好きな作家のひとりであり、湊かなえや沼田まほかるとともに読後感の悪い嫌ミス作家でもあります。この作者の作品は、ですから、妙に入り組んで複雑な構成になっているんですが、本書もまったくそうです。第1部と第2部に短いエピローグの構成となっていますが、第1部では、本書と同じタイトル『アルテーミスの采配』なる書籍の企画がなされて、AV女優のインタビューを中心に進みながら、そのインタビューを受けたAV女優が殺されるという殺人事件が起こります。インタビュアーの視点で物語は進みます。第2部では、この『アルテーミスの采配』なる書籍を企画した出版社に派遣されている編集者の視点でストーリーは進められ、殺人事件の謎解きと極めて複雑な人間関係の解明に当てられます。第2部では「アルテーミス」とは殺人まで含めて請け負う裏サイトということになっており、この裏サイトでAV女優の連続殺人事件が実行されている可能性が示唆されます。そして、第2部の終わりの方からエピローグで真実が明らかにされるわけです。私のような頭の回転の鈍い読者には、なかなか追跡がかなわない場面も少なくないんですが、論理だけで割り切れない人間の何ともいえない残酷な面とか、あるいは、すべてがお金に起因する憎しみや嫌悪感といった感情なども、とても健全な青少年には読ませたくないようなドロドロした人間模様とともにこの作者独特の筆致で描き出されています。好きな人は好きなんでしょうが、最初に書いたように読後感は決してよくありませんから、私を含めて、それなりのファンにのみオススメします。

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次に、柿﨑明二『検証 安倍イズム』(岩波新書) です。著者は共同通信のジャーナリストです。よりリベラルな立場から安倍内閣を批判しようと試みているようですが、私の専門外ながら、集団的自衛権の安保法制などについては、おそらく批判が当たっているような気もします。私自身も右翼的な政権のあり方には疑問を持っています。そして、著者は国家の介入という観点から安倍政権、というか、タイトルに敬意を評していえば、安倍イズムを批判しているんですが、私は経済に関しては市場への国家の介入というのは、リーマン・ショックに起因する経済・金融危機以降は多くのエコノミストがその必要性を主張しているところであり、的外れな批判ではないかと受け止めています。唯一当たっているのは少子化対策としての出生率目標的なものを家族生活に関する介入というのは分かります。でも、本書冒頭で取り上げている政府による経済界への賃上げ要請というのは、私の目から見て社会改良主義や社会民主主義の色彩の強い政策と映るんですが、いかがなものでしょうか。むしろ、私のイメージする右派的な経済政策というのは規制緩和であり、政府の介入なく企業がより自由な経済活動を行えるようにする新自由主義的な政策ではないかと私は考えており、その意味で、安倍イズムは政治や安全保障政策では右派かもしれませんが、経済政策では極めて社会改良主義的・社会民主主義的でリベラルな左派的政策を実行しているように受け止めています。そして、最後に、著者は毛並みのいい安倍総理ご自身に対して、祖父たる岸元総理の影をどうしても見たいらしく、盛んに岸元総理の発言などを引用していますが、的外れではないでしょうか。実は、私の父は私と同じく京都の生まれ育ちで、昭和一桁のかなり差別的な意識の強い人物でしたが、その父の差別意識丸出しの発言をもって、私の性格なり何なりを判断されると、私はとても迷惑に思うでしょう。でも、この著者は安倍総理の父親の発言をすっ飛ばして祖父の見方を持って来て、平気でそういった議論を展開しているような気がしてなりません。読者によっては「言いがかり」に近い受け止めをする人もいそうな気がして心配です。

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最後に、星野進保『政治としての経済計画』林雄二郎[編]『日本の経済計画』(日本経済評論社) です。私の専門分野のひとつは開発経済学で、ジャカルタに派遣された折とか、長崎大学に出向していたころに、いくつか専門の学術論文も書いています。ということで、途上国向けに我が国の戦後の経済政策についてODAの一環として協力するとすれば、もちろん、いくつかの経済政策分野があり、最右翼はその昔の通産省的な産業政策なんでしょうが、経済計画の策定についてもひとつの候補となるような気がします。私がジャカルタに派遣されたのも経済計画の中で経済見通しを計量モデルにより策定する、というプロジェクトでした。ということで、この2冊を読んでみました。どうでもいいことながら、『日本の経済計画』の方は1957年の出版で、1997年に新版が出ています。オリジナルの本は私が生まれる前に出版されているということになります。お勉強の成果は1月4日のご用始めの後にメモを取りまとめて、今月中下旬ころに研究所の上司に提出したいと予定しています。
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