2016年02月07日 (日) 18:39:00

先週の読書は『議会の進化』をはじめ期待外れに終わった直木賞受賞作『サラバ!』など5冊ほど!

先週の読書は、それらしい経済書はなしなんですが、最初に置いた『議会の進化』はほぼブキャナン・タロック的な公共選択論の系譜であり、経済学ではないにしても幅広い意味での社会科学の学術書・専門書といえます。ほか、長らく予約待ちをした直木賞受賞作『サラバ!』上下など、『サラバ!』上下で2冊と数えれば以下の通り6冊です。

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まず、http://www.keisoshobo.co.jp/author/a99862.htmlロジャー D. コングルトン『議会の進化』(勁草書房) です。著者は米国の公共選択論を専門とする研究者であり、ブキャナン教授やタロック教授の教え子に当たります。原書の出版は2011年であり、この翻訳書は原書の全訳ではなく、原書全20章のうちの12章から18章は割愛されています。国家の統治権というか、意思決定機関として、神から統治権を授かった王に始まって、王-評議会の枠組みを経て、幅広い参政権に支えられた国民主権に基礎を置く議会が参政権の拡張とともに進化するという見方で議論が進みます。もちろん、西欧民主主義的なシステムですので、対象としている国は英国、スェーデン、オランダ、ドイツ、日本、米国の6か国だけです。手法は基本的にゲーム論の利得行列や選好関数を用いていますので、方法論としてはほぼマイクロ経済学と同じです。ただ、私も知らないようないろんな方法が、特に何の注釈や断りもなく使われています。例えば、第6章p.143以降のクーン=タッカーの最大化関数とか、p.296の「小さなcのついた」保守主義者、とかです。理解を進めるためにはそれなりの基礎知識が必要なのかもしれません。3部構成を取っていますが、第1部の統治権の以上については私にはもっとも理解がはかどらない部分でしたが、第2部の西洋の民主的以降に関する歴史的証拠と第3部の社会科学としての分析的歴史学については、専門外の学術書ながら、かなりの程度に理解が進んだような気がします。国家の統治を行う王ないし議会を、企業における最高経営責任者(CEO)と取締役会ないし株主総会になぞらえている表現がいくつが出て来ますが、基本的に本書は統治権に移行先としての議会を歴史的に分析する学術書であり、かなりの高度な内容を含む、と考えるべきです。必要に応じて、随所に数式が展開されますし、価格も7200円+税というのは、普通では手が出ないと思いますし、学術書の値段ではないでしょうか。それなりの覚悟で読み始め、読み進む必要があります。繰り返しになりますが、理解を進めるためにはそれなりの基礎知識が必要なのかもしれません。ただし、p.351の推計結果については単位根検定がなされているかどうか不安が残りますし、非常に極端な例、例えば、1930年代のワイマール憲法下での授権法によるナチス独裁とか、共産党政権下でのプロレタリアート独裁における議会の統治権をどう考えるか、なども興味ありますが、戦争も含めた不連続的な歴史については本書のスコープ外なんだろうと考えています。

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次に、ダナ R. ガバッチア『移民からみるアメリカ外交史』(白水社) です。タイトルの通り、米国の移民と外交についての本で、原著は2012年に出版されています。作者は米国の移民史研究の第1人者であり、ミネソタ大学移民史研究センターの所長を務めた経験もあるそうです。ということで、数年前の本であって、現在進行形での中東難民が欧州に押し寄せている移民、というか、難民問題についての時代背景も地域も同じではありません。米国は新大陸であり、その昔に誤って「インディアン」と呼ばれていたネイティブ・アメリカンを別にすれば、基本的に、移民で成り立っている気もするんですが、その移民もピルグリム・ファーザーズとまではいわないものの、早い時期に到来した移民と米国が独立して国として確立した後の遅い時期とで扱いが異なるわけのようです。特に、私の目から見て新鮮に感じたのは、早い時期のいわゆるWASPのプロテスタントから、遅い時期になると肌の色の濃いカトリックなどが増加し、独立期の米国的な雰囲気を壊しかねないと受け止められていたという事実と、さらに、欧州から移民で米国に渡って来た後、故国に戻る例も、いわゆる出稼ぎだけでなく、決して少なくなかった、という点でした。確かに、英国の貴族の後継者がなくて、米国から英国に帰国して爵位を継いだ、という例もあったように記憶していますし、本書で取り上げられているように、イタリアからの移民がイタリアに帰国して、地方名望家層に対する態度が自由主義的であった、などはあり得るように感じました。先発の移民である初期の米国人からすれば、オクラホマ・ランドラッシュのような初期の移民歓迎の立場から、p.109にあるように、欧州諸政府が下層民を米国に送り込む政策を取っていたように見えるんだろうという気はします。特に、19世紀的な不況の時期が長かった時代には先発の米国人の職を奪う形で移民が流入したような被害意識を持つのは現代と変わりありません。そして、排外的な主張を持つポピュリスト政治家の人気が決して低くないのも、現在の米国大統領選挙を控えた各党の予備選を見ていると、ついつい同じような趣向を見て取ってしまいます。最後に、米国のジョークで、メキシコとの国境沿いにフェンスを作って移民が越えられないようにする、という手法について、「でも、いったい誰がフェンスを作るんだ」、というのがあります。すなわち、こういったフェンスを作る未熟練労働力は不法移民ではないのか、という含意です。

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次に、石毛直道『日本の食文化史』(岩波書店) です。著者は我が母校の京都大学出身の大先生であり、国立民族学博物館の館長を経験し、本書のテーマではまずは我が国の第1人者です。今西錦司先生や梅棹忠夫先生の系譜に連なる研究者であり、また、日本国内のみならず、アジア各国でも同様の研究をしているように記憶しています。もう80歳くらいなんではないんでしょうか。ということで、本書のタイトルの分野の権威になる大先生の本ですから、それなりに興味深く読みました。有史以前の我が国の食文化から始まって、やっぱり、ハイライトは織豊政権から徳川政権くらいまでに完成した和食や茶道の文化、それに対して、明治期になって洋食が入ってハイブリッド化した食文化、典型は私はカレーライスだと思っていますが、さらに、太平洋戦争の終戦後にいっそうの米国化が進んだ食文化、という、どうしても近現代に目が行きがちです。私のような専門外の読者には仕方ないような気もします。いずれにせよ、家庭内の食文化の歴史といわゆる外食の食文化の歴史がとても理解しやすく展開されており、諸外国からの影響、すなわち、我が国の古典古代といえる時代においては中国や朝鮮からの食文化の輸入、中世以降はそれに加えて欧米の食文化の導入が進み、特に、第2次世界大戦の直後は国内の食材供給がかなり細った結果として、もちろん、被占領下における政治や経済も含むさまざまな影響力も含めて、米国由来の食文化が後半に我が国に広まったという事実が明らかにされます。基本的には、いわゆる「食事の文化」であって、飲酒やいわゆる茶の湯の文化などの例外を除いて、お菓子などの歴史については極めてわずかしか紙幅が割かれておらず、少し残念な気もします。専門外のエコノミストの目から見て、経済的なゆとりが出来るに従って、それに正比例以上の相関をもって食文化が豊かになるような気がしています。

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次に、西加奈子『サラバ!』上下(小学館) です。いうまでもなく、直木賞受賞作であり、延々と図書館の予約を待たされて、ようやく読むことが出来ました。それにしては、読後感にビミョーなものがあり、待たされた分の期待が大きかっただけに、少し期待外れという部分も少なからずありました。主人公の男性がテヘランで左足から逆子として生まれた時から、時折、数年を飛ばしつつ、小学校入学やエジプトの首都カイロでの海外生活、帰国しての大阪での小学校高学年以降から中学・高校のころ、東京の私大に入学してから30歳代の半ば後半の現時点までの波乱万丈に飛んだ半生を描き出しています。ただ、文章がかなり荒っぽく、上巻と下巻で矛盾する部分も散見され、小説としては直木賞受賞作かね、という気にもさせられましたが、特に下巻に入ってからのスピード感豊かな展開は何物にも替えがたく、一気に読み切ることが出来ます。ただ、最後は2010年の時点で小説のスピードがとても緩慢になりますので、これも震災小説かと思わないでもなかったんですが、以外な面からアラブの春につながるとは思いもしませんでした。主人公の父親は後に出家して山にこもりますし、母は幸福を追い求めてジコチューな行動を繰り返し、その母と衝突を続けてきた姉は最後にはユダヤ教徒と結婚して平穏な生活を得たりと、家族のキャラが異様な気がしますし、母方の親戚やカイロから帰国した際のアパートの管理人で、背中の彫り物に特徴があるおばちゃんとか、主人公の中学・高校・大学の友人、特に高校の友人と大学の女友達が結婚したりと、あり得ない通常では考えられないようなご都合主義的な展開も数多く見られます。文体も一定せず、細やかな情感は持ちようもありませんが、一貫しているのはスピード感です。一気に読んで細かい点は気にしないというのがこの作品の読み方ではないかという気がします。時に、「xxへんくない?」という否定疑問文が頻出するので、私の同僚エコノミストの灘高・東大ご出身の堺出身者に聞いてみたんですが、「???」というカンジでした。評価の分かれそうな小説ですが、私自身もこの小説の主人公家族と同じように途上国での幼い子供を連れての駐在員生活も経験して入るものの、直木賞が授賞されるほどの小説か、という気もしています。他方で、スピード感を高く評価する読者がいそうな点も理解します。ただ、宗教的な色彩を読み取るべきではないような気がします。最後に、「サラバ!」というタイトルなんですが、その昔の映画「セーラー服と機関銃」のテーマソングの「サヨナラは別れの言葉じゃなくて、、、」というのを思い出してしまいました。3月に橋本環奈主演で映画「セーラー服と機関銃 -卒業-」が封切られるそうなので、ついつい思い出してしまいました。

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最後に、吉本ばなな『ふなふな船橋』(朝日新聞出版) です。朝日新聞で連載されていた小説が単行本化されています。タイトルから理解できるように、船橋のローカル小説であり、表紙の画像から想像できる通り、梨の妖精のマスコットであるふなっしーが大いに活躍します。といっても、あのハイテンションでおしゃべりする着ぐるみのゆるキャラではなく、グッズとして売り出されているぬいぐるみなどです。すべての船橋にあるのであろうと推測される飲食店などが実名で登場しますので、知り合いの船橋在住者に貸して読んでもらったところ、「半分くらいは知っている」という回答でしたので、ほぼ実在のお店なんではないかと私ながらに想像していたりします。でも、私は松戸に在住していた時に、一家で新京成線に乗ってごくまれに船橋のららぽーとに行った記憶があるくらいで、ほとんど船橋を知りません。2011年7月24日のエントリーにある通り、この作家の別のローカル小説である『もしもし下北沢』も読みましたが、自殺ないし心中がストーリーに一定の重みで登場するものの、この『ふなふな船橋』の方がとてもリアルに亡くなったハズの幽霊が、夢の中とはいえ、主人公と詳細な会話を交わしますので、見方によれば、現実とのかい離が大きくて、「おどろおどろしさ」が増しているような気がします。バブル真っ盛りにデビューし、『アルゼンチンババア』を典型として生活感のない小説を書き続けて来た作者ですが、とうとう「ご当地ソングに頼る演歌歌手」のような小説家になったのかもしれません。なお、ほぼ真ん中のp.119で第1部と第2部に分かれるんではないか、というのが私の読み方なんですが、それで正しいんでしょうか?
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