2016年02月13日 (土) 17:58:00

今週の読書はウォーラーステインの『知の不確実性』ほか6冊!

今週の読書は、社会学のウォーラーステインの『知の不確実性』や経済学の学術書である『新々貿易理論とは何か』をはじめ、芥川賞作家の円城塔の小説まで計6冊、以下の通りです。

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まず、イマニュエル・ウォーラーステイン『知の不確実性』(藤原書店) です。原書は2004年刊行で、原題はそのままです。本書の邦訳は初めてらしいです。いうまでもなく、著者は現代社会学の大家であり、「世界システム論」や「ジオカルチュア論」の提唱者としても有名です。米国人でありながら、歴史学の方法論としてはマルクス主義の影響をかなり受けているように私は感じています。ということで、本書では、物理学における不確定性原理のように、社会科学の中でもコアとなる経済学、政治学、社会学において確実性は終焉したと論じ、特に、時間との関係で不確定な未来の予想を論じています。アインシュタインのように「神はサイコロを振らない」というのは誤りであり、自然科学も含めて確率論的に展開する世界を解明することが科学に求められているわけで、その意味で、確実性は終わって、確率的に確定しない世界が目の前に広がっている、という印象かもしれません。その上で、p.217以降で社会科学の将来について3つのシナリオを示し、第1のシナリオとして、社会科学が自らの重さに耐えかねて崩壊するその日までその組織を繕いつづける現在の私たちが歩んでいる道、第2に、社会科学者自身にかわって社会科学を再組織する「機械じかけの神」の介入による再生、そして、第3の道として、史的社会科学の可能性を展開しています。第3の視シナリオから、個別科学(ディシプリン)について論じられ、より具体的な方法とは、「社会科学者自身が先頭に立って社会科学の再統一と再分割を行い、21世紀において知が意義ある進歩を遂げられるような、もっと知的な分業体制をつくりだす」ことと定義しています。歴史学の活用という点では、従来からのウォーラーステイン教授の方法論と整合的ですし、ブローデル教授の影響の大きさが伺える論理展開といえるかもしれません。でもさすがに、5年前の2011年に4部作として結実している『近代世界システム』と本書を比較すると、スケールが大きく違うのは無理ありません。ただし、本書は特に大学のあり方とも関連して論じられており、文部科学省発の「国立大学の文系学部再編」議論がアジェンダに上っている昨今の我が国で、ひょっとしたら、話題になりそうな気がしないでもありません。どうでもいいことんがら、誰にも貸し出されることなく、日比谷図書館の新刊の棚に置いてありましたので、私が借りて読んでみました。我が家の上の倅は、一時、社会学を大学で勉強したいといっていたんですが、私には経済学よりも社会学の方が難しく感じられた1冊でした。

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次に、田中鮎夢『新々貿易理論とは何か』(ミネルヴァ書房) です。著者は関西方面の大学に勤務する研究者ですが、最近まで長らく経済産業研究所(RIETI)の研究員をしていて、本書はそこでの「国際貿易と貿易政策研究メモ」が基になっています。上の表紙の画像にも右上に「RIETI」の文字が見えますから、何らかの出版補助のようなものが出ているのかもしれません。本書には新たな定量分析は収録されておらず、既存研究のサーベイ論文といえますが、ほぼ学術論文と考えるべきであり、出版社の方でも200ページに満たない本に税抜きで4000円の定価をつけています。やっぱり、経済学も難しいと感じさせられる1冊です。ということで、経済学における貿易論については、リカードの比較生産費説に基づき、ヘクシャー・オリーン定理などを含む古典派的な貿易理論に始まり、さらに、輸出のための初期コストを考えるという意味での規模の経済を導入し、消費者の多様性選好を踏まえて、多数の企業が差別化された製品を供給して産業内貿易を説明しうる新貿易理論が支配的でしたし、クルーグマン教授などは新貿易論でノーベル経済学賞を授賞したりしたわけですが、その後のメリッツ教授などをはじめとするハーバード大学グループなどの貢献によるメリッツ・モデルを本書では「新々貿易理論」と呼んで、主要な文献をサーベイしてコンパクトに紹介しています。すなわち、新々貿易理論とは、すべての企業が輸出するわけではないという点に着目し、輸出企業は生産性の高いごく一部の企業であり、さらに、貿易から直接投資(FDI)まで視野を広げて、FDIを行う企業はさらに生産性が高くてさらに限られた企業だけである、というポイントを理論的かつ実証的に解明しようと試みています。そして、この新々貿易理論によれば、従来の交易利得だけでなく、貿易により輸出やFDIを行う生産性の高い企業に資源が再配分される経済厚生の改善効果も見込める、と結論されています。加えて、本書では入門レベルのプログラムであるSTATAをはじめとする定量分析の方法論まで展開しています。また、貿易理論のメリッツ・モデルから離れて、TPPの経済効果試算などでも用いられているCGEモデルについても解説を加えています。ただし、そこは学術書ですから、一般のビジネスマンに容易に理解できるレベルではないことは覚悟しておくべきです。でも、ここまで広範なサーベイをしてくれているんですから、この分野の研究者は手元に置きたくなる誘因は大いにありそうな気がします。最後に、このメリッツ・モデルの基礎となった一般均衡型の貿易理論の原著論文が、何と、その著者であるメリッツ教授のハーバード大学のサイトにアップされていますので、以下にリンクだけ張っておきたいと思います。


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次に、イアン・ブレマー『ジオエコノミクスの世紀』『スーパーパワー』(日本経済新聞出版社) です。『ジオエコノミクスの世紀』の方は、これも近くの区立図書館で新刊棚に置かれて貸し出しもされていませんでしたので、私が興味本位に借りてみましたが、ボスコン日本法人社長との共著の扱いのようで、第3章さえ読めばそれでいいような気がします。日本のビジネス界という狭い対象しか頭にない人と、世界の国際関係や外交史の専門家とでは話がかみ合っていません。ですから、『スーパーパワー』の方に著者自身の勘定として「10年で5冊」出版した旨の記述がありますが、どうも、『ジオエコノミクスの世紀』は数に入っていないようです。ということで、基本的に、国際関係の中で「スーパーパワー」=列強たる米国の思考方法と行動様式について問うているのが本書『スーパーパワー』です。もちろん、その背景には冷戦の終了によりソ連との比較対比で米国の方がまだマシ、という議論が成り立ちにくくなり、他方で21世紀に入って中国がソ連的なイデオロギーなしで軍事的にも経済的にも台頭を始め、米国の「スーパーパワー」としての相対的な地位の低下が大きくなり始めている現状が背景となっています。しかしながら、著者は従来から「Gゼロ」の自説を展開しており、米中の「G2」とは見ていないことは頭に置いて読み進む必要があります。なお、この著者による『「Gゼロ」後の世界』は私も読んでいて、2012年11月1日付けの経済評論のブログで取り上げてあります。『スーパーパワー』で著者は、米国のあり方として、「独立するアメリカ」と「マネーボール・アメリカ」と「必要不可欠なアメリカ」の3つの選択肢を提示し、それぞれの長所と短所を、日本にも大きな影響を与えかねない中国の脅威、エネルギー、安全保障、TPP、サイバー攻撃など、地政学的リスクの観点から解き明かしています。第1の「独立するアメリカ」はかつてのモンロー主義に近くて、国益を優先し、安全と自由を確保する国内回帰の道であり、第2の「マネーボール・アメリカ」はコスと・パフォーマンスを外交の視点に入れつつ、米国の評価を上げ、国益も守る道であり、第3の「必要不可欠なアメリカ」は多くの意気盛んな政治家や学者に人気があり、世界を主導する米国のあるべき姿を提示していますが、何と、とても意外なことに、著者は第1の「独立するアメリカ」=国内回帰を支持しています。専門外の私にはなかなかむつかしい議論なんですが、この先の世界経済を見る上で参考になるのかもしれません。

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次に、本郷恵子『怪しいものたちの中世』(角川選書) です。著者は東大史料編纂所の中世史研究者であり、何冊か一般向けの著書もあるようですが、私は初めてでした。時代区分としては平安後期から鎌倉中期くらいで、著者の専門である『古今著聞集』からのトピックが多かったような気がします。現在のように、印刷技術やそれを基礎とする出版物はなく、電波で届くラジオやテレビも、もちろん、インターネットもなく、情報があふれてその取捨選択に苦労させられている状況とは異なり、情報が不十分な上に中央政府も地方政府もそれほど親切ではなく、というか、民衆をほったらかしにしていた時代にあって、流言飛語のたぐいであっても真実というよりも、誰かにとって都合のいい「怪しい情報」が飛び交って、一般大衆が何か信じられるものを探し求めていたわけですから、「怪しい情報」を流す「怪しいもの」もいっぱいいたと推察されます。それが本書の章立てでは、祈祷師や占い師、芸能者、ばくち打ちや山伏など、そのものズバリの怪しいものから、勧進聖、皇室に連なるご落胤などなどが取り上げられ、詐欺師まがいのホンモノの怪しいものについても、決して現代的な意味での「だましの手口」的な紹介ではなく、作者の中世に対する深い理解と愛情からの本書では、民衆の安心にもつながる社会安定化装置的な役割も同時に触れられています。もちろん、中央・地方政府の脆弱な中世においては勧進聖は寺社の建設などだけではなく、橋を架けたりトンネルを掘ったり道路を切り開いたりするという意味で、公共事業の一翼を担っていたと受け止めても大きな間違いではないかもしれません。その中でも、民衆の動揺を鎮め社会を安定化させるため、広い意味での宗教の果たした役割は特筆されるべきでしょう。本書の対象とする中世ころから、いわゆる国家鎮護のための仏教だけでなく、我が家の信奉する浄土真宗や浄土宗系の念仏や日蓮宗系の題目が民衆に広まったのも、こういった中世の時代背景を考え合わせると、理由のあることだという気がします。

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最後に、円城塔『プロローグ』(文藝春秋) です。まず、昨年2015年11月21日付けの読書感想文で同じ作者の『エピローグ』を取り上げた際に、「タイトルをどういう趣旨でこうしたのか、とても興味あります」と書いたところ、ここにエピローグに対応するプロローグがあったのだと、不勉強にして初めて知りました。ということで、この作品は『エピローグ』と対になっていますが、なぜか、早川書房刊の『エピローグ』の方が先に出版されて、私もそれを先に読み、文藝春秋刊の本書が後に出ています。何度か本文中で本書は「私小説」であるとの記述があり、確かに、部分的にはフィクションの小説というよりもノンフィクションのエッセイに近い印象を受けるかのようなパートも散見されます。もっといえば、作中の語り手が、あたかも人工知能(AI)のように小説を生成するプロセスを、場所を換え、新しい漢字を導入しつつ、描いたノンフィクションのエッセイような小説です。小説を生成するプロセスの小説というメタ表現で失礼します。対になる『エピローグ』よりは判りやすく、私のような単純な頭でもスンナリと入って来て、それなりにリラックスした雰囲気があって、淡々とストーリーが進みます。ただ、私はプログラム言語はBASICくらいしか理解しませんので、ソフトウェア開発的なエピソードについては理解不能な部分も少なくありませんでしたし、そういう読者は結構いそうな気もします。最後に、出版業界の事情に疎い私は『エピローグ』⇒『プロローグ』の順で読んでしまいましたが、逆の順で読めば『エピローグ』の読書感想文というか、読み方や感じ方が変わりそうな気がしないでもありません。誠に残念ながら、時間をさかのぼることが出来ませんので、私にはもうムリですが、もし、その順番で読んだ読書子がいれば、ご意見を知りたいように思います。
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