2016年12月04日 (日) 10:03:00

先週の読書はやっぱり10冊!

何となく、読書感想文のブログが米国雇用統計で1日後ずれしたこともあり、今週も10冊の大台に乗ってしまいました。やっぱり、1週間で10冊というのはフルタイムで公務員をしている私にはやや過重な気がします。でも、引退したらもっと読むかもしれません。

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まず、ジャスティン・リン『貧困なき世界』(東洋経済) です。著者は2008年から12年まで世銀の上級副総裁兼チーフエコノミストを務めた開発経済学者です。その後任が先月11月12日の読書感想文を取り上げた『見えざる手をこえて』の著者であるバスー先生で、現任者はポール・ローマー教授です。本書の英語の原題は The Quest for Prosperity: How Developing Economies Can Take Off であり、2012年の出版です。ただ、リン教授の2012年の出版といえば、以下のリファレンスにもpdfへのリンクを置いておきますが、New Structural Economics: A Framework for Rethinking Development and Policy が有名です。リン教授の提唱する「新構造経済学」ともタイトルがぴったりな気もします。なぜ、翻訳がこれだけ時間がかかったのかは不明ですし、なぜ、コチラを翻訳に選んだのも大いに疑問ですが、まあ、私もエコノミストとして開発経済学を専門分野のひとつとしていますので、読んでみました。著者のリン教授の提唱する新構造主義経済学とは、その昔の中南米に適用された「新」のない構造主義経済学、プレビッシュ理論などと称され、途上国における市場の失敗は誤った価格シグナルから生じており、独占や生産要素移動の不完全性により価格が歪められているとの認識で構成されており、先進的な産業である輸入代替産業の育成を目指すのに対して、「新」のつく新構造主義経済学では途上国で先進的で資本集約的な産業が育たないのは各国における生産要素賦存によって内生的に決定されていると考え、教育による労働力の質の向上やソフトないしハードなインフラの整備、その上での先進国からの直接投資の受入れなどを志向します。大雑把な歴史的地域的な概観では、中南米の1970年代とアジアの1990年代を比較すれば理解がはかどりやすいかもしれません。なお、どうでもいいことながら、私は1990年代前半に南米はチリの日本大使館で経済アタッシェとして3年余り勤務しましたが、国連ラテンアメリカ・カリブ経済委員会がサンティアゴにあり、そのもっとも大きな会議室がラウル・プレビッシュ・ルームと命名されていたことを思い出します。本題に戻って、もっとも重要なポイントは、政府の開発政策における比較優位の、もっといえば、動学的な比較優位の発見とその活用です。途上国で失敗した開発政策は比較優位に基づかず、逆に、ファミリー・ビジネスなどの汚職やレント・シーキングに有効な産業に乏しい政策リソースをつぎ込んだ点にある場合が多く見受けられます。というか、かなり多いような気もします。本書の主張はとてもシンプルです。しかも、第7章のタイトルが特徴的なように、シンプルであり実践的、というか、政策志向的でもあります。もしも、私が開発経済学のゼミを持っていれば、輪読の候補にしたいような本です。さいごに、以下にリン教授の論文と別の代表的な著作へのリンクを置いておきます。いずれも英語です。


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次に、水野和夫『株式会社の終焉』(ディスカヴァー・トゥエンティワン) です。著者は証券会社のエコノミスト出身で、最近は、『100年デフレ - 21世紀はバブル多発型物価下落の時代』(2003年)、『人はグローバル経済の本質をなぜ見誤るのか』(2007年)、『終わりなき危機 君はグローバリゼーションの真実を見たか』(2011年)、『資本主義の終焉と歴史の危機』(2013年)など、なかなか独特の歴史観を示して、資本主義の限界とカギカッコ付きの「成長信仰宗教」批判を繰り広げています。本書もそのライン上に位置することは当然です。そして、タイトルの通りに、本書では株式会社について、近代資本主義とそれを担う近代株式会社の誕生から現代までの歴史をひも解きつつ、頻発する企業の不祥事や格差の拡大、国家債務の拡大、人口減少等の各国に共通する課題ならびに、これからの社会と株式会社について論じています。私もこの著者の主張は読んだつもりなんですが、ここまでシリーズ的に継続できるとは思ってもみませんでした。でも、さすがにネタ切れの様相を呈しつつあるような気もします。他の著作と同じように、ブローデルを援用して「長い16世紀」の終了とともに近代資本主義が勃興し、それを担う近代株式会社も誕生した、とするのは、基本的にどこかで見たような同工異曲ではないかと思わないでもありません。そして、やや一足飛びに結論にすると、初期値として我が国経済がゼロ成長であるとの前提の下に、企業利潤・雇用者報酬・減価償却費などをすべて毎年同額とし、第1段階として1999年度以降の新自由主義の影響で歪んでしまった労働と資本への分配を見直すフローの是正を行い、引き続き、第2段階として日本が資本を「過剰・飽満・過多」に抱えてきたことを是正する、という提案をしています。私はマルクス主義的、あるいは、シュンペタリアンな歴史観として資本主義が何らかの終焉を迎えるという方向性は決して突飛なものではないと考えないでもないんですが、国家や政府の前に株式会社がこのような解体のされ方をすべきであるとは思いません。少なくとも、私的に形成され運営されている株式会社と、領土や国家の範囲内で主権を有する国民の同意に基づいて何らかの役割を委託された政府とは、後者に米国憲法的な「革命権」が及ぶとしても、前者に対して一律に解体の方向を示すのは、社会主義革命であるかどうかはともかく、政府または何らかの強権的な権力の下でなされる可能性の方が高いと感じています。ということで、著者の今までの路線を引き継いでいこうとすれば、この先はまたムチャが生じるような気もします。次は、陸の帝国と海の帝国ですかね?

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次に、ギャビン・ニューサム『未来政府』(東洋経済) です。著者は米国カリフォルニア州の副知事であり、本書にも頻出すようにサンフランシスコ市長も務めた民主党の政治家です。英語の原題は (span class="ita">Citizenville であり、2013年の出版です。後述のようにICT技術の活用による行政の革新を提案するには、やや古いかもしれません。ということで、古いとか、細かな点は別として、全体としてとても面白かったです。要は、中央政府・地方政府の官僚機構はムダに現状維持バイアスがきつくて、大きく変化する世の中にまったく対応できておらず、ICT技術の活用により情報を公開し、世間のニーズに応える必要がある、ということです。基本は地方自治体なのかもしれませんが、スマホ、アプリ、ソーシャルメディア、ビッグデータ、ゲーム化などなど、著者は政治や行政を住民に対するサービス業と捉えているようで、住民に直接接する陸運局や水道や衛生などを市民のレビューによる星の数で計測するとか、米国のレストラン批評サイト「イェルプ」の政府版導入のような話題も盛り込まれています。私自身も30年以上も前に我が国の政府機関に就職して、政府で働くことも長くなり、民間企業と違って競争のない世界でのんびりと仕事するのに慣れてしまい、本書のような視点はとても新鮮でした。そして、強く同意したのはプライバシーに関する見方であり、我が国の行政機関や学校・病院などでは周回遅れで個人情報保護に熱心に取り組んでいるようですが、実は、ミレニアル世代はプライバシーを気にかけないと著者が主張しているように、むしろ、プライバシーの保護から積極的に必要な部分を開示して行政に活かそうという方向に転換すべき時期に来ているような気が私はしています。著者もGPSなどの位置情報などのプライバシー保護は諦めるべきとの立場のように見受けられます。ガス管の埋設情報も盛り込まれていますが、秘密にして得るものと公開して得るもので、それなりに比較衡量は必要とは私も考えますが、バランスは明らかにプライバシー保護を諦める方向に向かいそうな気がします。伊藤計劃の『ハーモニー』の世界かもしれません。最後にひとつだけ気にかかったのは、政治や行政にICT技術を導入して多彩な方法によって選挙だけでなく民意を繁栄することはとてもいいことなのですが、直接民主主義にまで進むのがいいのかどうか、最近のBREXITや米国大統領選挙、あるいは、韓国での大統領弾劾デモなど、国民が直接意見を述べるのはとても重要なんですが、間接民主主義によってポピュリスト的な民意の一部を選良が選択する余地を残すのも、あるいは、必要なケースがあるかもしれません。もちろん、そのようなケースはないかもしれません。でも、何らかのカギカッコ付きの「民意を歪める仕組み」はあった方がいいような気がします。

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次に、大澤真幸『可能なる革命』(太田出版) です。著者は我が母校の京都大学教授も務めた経験のある社会学者です。一応、研究者なんではないかと思いますが、大学には属していないと私は受け止めています。本書では、革命について、非合法な暴力活動のようなものでなく、もっとも強い意味で社会的な変革を意図的にもたらすこと、あるいは、「不可能だったことを可能にするような変化を、社会運動によってもたらすこと」(p.30)を指すと定義し、現在では革命に誰も言及しなくなったのは、資本主義から社会主義や共産主義への以降の可能性が信じられていないからであると指摘します。まあ、その通りなんでしょう。私は大学時代に、革命とはマルクス主義的に定義すれば、権力階級の交代、例えば、地主から産業ブルジョワジーへ、あるいは、産業ブルジョワジーから労働者階級へ、ということだと聞いたような記憶があります。それはともかく、本書では、私の印象では革命論よりも若者論が展開されているような気がします。すなわち、古市憲寿『絶望の国の幸福な若者たち』で展開されたコンサマリー論について取り上げ、さらに、若者の自由については何とセン教授のケイパビリティ論を援用し、さらに映画やドラマなどの映像表現、例えば、朝井リョウの原作に基づく映画「桐島、部活やめるってよ」、あるいは、ヤマザキマリによるマンガを原作とする「テルマエ・ロマエ」、池井戸潤の小説を原作とする「半沢直樹」シリーズ、NHK朝ドラ「あまちゃん」などを題材にし、若者論が延々と展開されます。いわく、政治や社会への関心が高く、社会貢献にも熱心であるにもかかわらず、選挙の投票率は低く、古市的な議論として主観的な幸福度は高いものの、客観的な条件がいいとはとても思えない現在の若者に関して、著者はオタク論を持ち出します。すなわち、狭い条件や範囲での主観的な幸福感は高いものの、広い視野で見て客観的な幸福の条件はそろっていない、という意味なんだろうと私は解釈しています。この議論と革命論がどのように切り結ぶのかは決して自明ではなく、むしろ、私なんぞはまったく理解できないんですが、強力な社会変革がオタクの若者によってもたらされたりするんでしょうか。それなりにペダンティックな本でしたが、私もどこまで著者の真意を理解したか、自信がありません。

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次に、道尾秀介『スタフ』(文藝春秋) と『サーモン・キャッチャー the Novel』(光文社) です。作者は注目のミステリ作家であり、『向日葵の咲かない夏』で注目を集め、『月と蟹』で第144回直木賞を受賞、ほかに、『カラスの親指』が映画化されて私も見ました。といことで、まず、『スタフ』は「週刊文春」連載が単行本化されています。移動デリを営み街をワゴンで駆けながら、料理を売って生計を立てる30歳過ぎの女性が主人公です。彼女が中学生の一風変わった姉の子の甥と2人暮らしをしていたところ、何故か拉致されて、甥とともに芸能人のスキャンダルメールの回収を手伝うことになります。そして、移動デリの場所を提供してくれている不動産屋、甥の通う塾の数学講師、などの脇役のキャラもなかなかよく出来ていて、ラストの大どんでん返しが印象的です。ひょっとしたら、この作者の作品のマイベストかもしれません。次に、『サーモン・キャッチャー the Novel』はケラリーノ・サンドロビッチが「the Movie」の方を担当して別々に創作活動を行っているそうです。場末の釣り堀「カープ・キャッチャー」を舞台に、釣った魚の種類と数によるポイントを景品と交換できるこの釣り堀のシステムで、「神」と称される釣り名人がいた一方で、釣り堀の受付でアルバイトしている女子大生はヒツギム人からヒツギム語ネットの講座でを習っていて、また、引退生活を送る近くの婆さんは復讐心に燃えてヒツギム人に復讐の殺人を依頼したりして、などなど、浅くて小さな生け簀を巡るささやかなドラマは、どういうわけか、冴えない日々を送る6人を巻き込んで、大きな事件に発展していくストーリーになっています。ちょっと、私のような読解力の弱い読書しかできない人間にはツラいものがありました。なお、この作者は私は大好きですので、この2冊のみ購入しています。

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次に、川村元気『四月になれば彼女は』(文藝春秋) です。作者は2012年に『世界から猫が消えたなら』で作家としてデビューし、小説第2作『億男』は私も読んでいて、この作品は小説の3作目ではないかと思います。タイトルはいわずと知れたサイモンとガーファンクルのアルバム「サウンド・オブ・サイレンス」に収録された曲名であり、英語の原題は April Come She Will です。私の読み方に従えば、精神科医の男性を主人公に、その医学生のころからの人生を舞台として、大学生のころに付き合っていた女性、そして、現時点で結婚を間近に控えながら失踪した年上の獣医の女性、とのそれぞれの恋愛を通して、男女の恋愛というよりは結婚観とか人生観、また、生死観について考えさせられる小説です。かなり映像的、というか、大学の写真部の物語から始まるせいもあって、景色や風景などが目に浮かぶような構成となっています。でも、ストーリーは重いです。主人公の男性精神科医と彼と付き合ったことのある写真部の後輩女性、結婚直前で失踪した獣医の女性、ほかに、主人公の同僚の後輩精神科医の女医がどうして恋愛できなくなったかとか、大学時代の写真部の後輩女性がガンで死んだ事実を知ったり、婚約者の獣医の妹との関係が怪しくなったり、婚約者が失踪したり、また、ゲイというよりはバイの男性との恋愛観や結婚観の重さも感じたり、とてもヘビーです。12か月の月ごとの章構成になっているんですが、私ですら読むのをやめようかと思ったほどでした。元気のある時に読むべき本だという気がします。

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次に、大森望[編]『ヴィジョンズ』(講談社) です。書き下ろしのSF短編集です。一見して作者陣が豪華で、ついつい、手を伸ばして見ました。まず、収録作品は以下の通りです。すなわち、宮部みゆき「星に願いを」、飛浩隆「海の指」、木城ゆきと「霧界」、宮内悠介「アニマとエーファ」、円城塔「リアルタイムラジオ」、神林長平「あなたがわからない」、長谷敏司「震える犬」です。これで、上田早夕里でも入っていれば、必ずしもSF小説には詳しくない私に関してはオールスター・キャストと考えてしまいそうです。なお、飛浩隆「海の指」と木城ゆきと「霧界」の2作はコラボとなっており、「海の指」の小説を基に「霧界」でマンガ化されています。「星に願いを」では、隕石の落下と宇宙人の存在を示唆する内容ながら、実は主人公の少女の夢のお話なんではないか、と思わせぶりなところもあり、他方、日常からの脱出とも考えられ、なかなか多彩な読み方のできる小説です。「海の指」とコラボの「霧界」は、灰洋に面した泡州という街を舞台にし、この街は海の指によって灰洋の底から陸地に押し出された建物によって構成されていて、それらは イスラム風建物、オスマン様式ドーム、日干し煉瓦、などなどの雑多な建築様式で成り立つ壊滅的な絶望の街の様相を呈しつつも、コミュニケーションを取りながら生きる数少ない市民を描いています。 「アニマとエーファ」では、 主人公のアニマは小説家によって作られ、消滅しつつある言語アデニア語を守るために物語を書くロボットで、エーファはその小説の読者です。アニマは彼を作った小説家の手から離れ、次の持ち主によってベストセラーを書くまでになるが 数奇な運命によりアニマとエーファが再会します。「リアルタイムラジオ」は、主人公がフォックストロットこと「A6782DE9067C8AA3716F」といい、ワールドと呼ばれるデータ世界に住む100億体のエージェントの1人という設定で、そのワールドの外にはリアルタイムが存在してラジオが流れてくるわけですが、私の理解不足で何が何やら十分に読解し切れませんでした。「あなたがわからない」では、主人公の亡くなったばかりの妻にエンバーミングが施されるんですが、それが亡くなった妻本人の希望で遺体防腐処理液の代わりにクローン培養液が使われたことから、夫婦の会話が復活したりします。最後の「震える犬」はかなり長くて、短編というよりも中編に近く、アフリカはコンゴの研究施設において、チンパンジーにAR(拡張現実)の装置を装着して、類人猿から人類への進化の過程の謎を探るプロジェクトを舞台に、1匹の冴えない犬に対するチンパンジーの愛情の芽生えを追います。

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次に、大澤真幸『日本史のなぞ』(朝日新書) です。繰り返しになりますが、著者は我が母校の京都大学教授も務めた経験のある社会学者です。一応、研究者なんではないかと思いますが、大学には属していないと私は受け止めています。ということで、本書はタイトルの革命について、p.11において、外因による変化や非意図的で自然発生的な変化を除いた内発的で意図的な変化、と特異な表現を持って定義し、それを鎌倉幕府第3代執権だった北条泰時であると指摘し、その理由として天皇権力の院宣に反して幕府軍を率いて天皇軍を破り、天皇制政府を打倒して幕府制政府を樹立して御成敗式目を制定し、加えて、天皇の臣下でありながら3人の上皇を配流した、という観点を示しています。さらに、このような反天皇制的な所業、というか、行動にもかかわらず、『神皇正統記』で天皇制の称揚に当たった北畠親房などから激賞されている、という事実も付け加えています。その理由について日本史と関連して論じたのが本書の眼目となっています。すなわち、欧米的な革命、あるいは、中国的な易姓革命に対して、我が国の万世一系の天皇制の特徴を明らかにしています。天皇は統治せず、例えば、明治以降に首相を選出するにも元老の意見に基づいており、戦後はこの元老の役割を米国が果たしている、などは秀逸な分析と私は考えますが、まあ、一面的ではあります。繰り返しになりますが、「革命」の定義がかなり恣意的なので、それは割り引いて考える必要があります。織田信長による天下統一や明治維新、太平洋戦争の敗戦後の米国による大規模な民主化などがすべて革命ではないとして除外されており、私の歴史観からして微分方程式の特異点として考えるべき歴史的転換点が、外圧や非意図的として排除されているのは同意できません。でも、先に取り上げた同じ著者の『可能なる革命』と併せて読めば、それなりにペダンティックな雰囲気を感じることが出来るのではないかと思います。

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最後に、日本推理作家協会[編]『所轄』(ハルキ文庫) です。警察の、しかも警視庁や県警本部ではない所轄警察署に所属する警官の活躍をクローズアップしたミステリのアンソロジーです。上の表紙画像に見られる通り、収録されている作家陣はオールスターキャストです。収録短編は、薬丸岳「黄昏」、渡辺裕之「ストレンジャー」、柚月裕子「恨みを刻む」、呉勝浩「オレキバ」、今野敏「みぎわ」の5編です。ファンにはお馴染みだと思いますが、夏目刑事、佐方検事、安積警部補たちが登場する警察小説のアンソロジーです。もっとも、佐方検事は検察なんですが、例の出世街道から外された南場署長が登場します。沖縄県警に出向中という与座哲郎警部と浪速署生活安全課の鍋島刑事は私には初顔でした。大阪の鍋島刑事は、東京の新宿署生安課の鮫島刑事を意識しているんでしょうか。定番ともいえる執筆陣と主人公で安心して入って行ける短篇集です。順に、私なりの観点から主人公の刑事を中心に据えてナナメに見ていくと、第1作の「刑事のまなざし」シリーズの夏目刑事は、東池袋署から錦糸署へ異動の辞令があり、東池袋署では最後の事件となりそうです。第2作の与座刑事は沖縄県警に新設された外国人対策課へ警視庁から異動してきたものの、実は沖縄出身という設定で、沖縄県警vs警視庁という対立とともに、刑事vs公安の軋轢も読み応えあります。第3作の佐方検事は警察や検察の黒星になっても正義を追い求める姿に相変わらず感動させられます。第4作の鍋島刑事は、関西人の私から見ても、大阪弁での会話がとてもテンポよく心地よい響きを持っています。最後の東京湾臨海署の安積警部補羽目の前の事件から昔の記憶をたどりますが、安積警部補の若いころの活躍が読めるという意味で貴重な作品だという気がします。
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