2017年05月27日 (土) 13:39:00

今週の読書は話題の経済書など小説なしで計7冊!

今週は大作の経済書をはじめとして、小説なしで計7冊でした。その昔に、「一日一善」という言葉がありましたが、ならしてみれば、「一日一冊」ということなのかもしれません。大作や力作が含まれていたこともあり、数字的にはややオーバーペースなんですが、うち3冊が新書だったりもします。来週はもっとペースダウンしたいと考えています。

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まず、ケネス S. ロゴフ『現金の呪い』(日経BP社) です。著者はハーバード大学の著名な経済学研究者であり、今世紀初頭には国際通貨基金(IMF)のチーフエコノミストも務めています。英語の原題は The Curse of Cash であり、2016年の出版です。本書ではタイトルに見られる通り、現金のうちの高額紙幣の廃止を提唱しています。すなわち、本書でも何度か繰り返されていますが、現金のないキャッシュレス社会ではなく現金の少ないレスキャッシュ社会を目指しているわけです。そして、その理由は2点あり、脱税や犯罪の抑止であり、典型的にはマネー・ロンダリングの防止です。そして、もうひとつがロゴフ教授の専門分野であり、金融政策へのインプリケーション、特にマイナス金利政策の効果の発揮です。実は、中身については以上で終わりです。実は、日本はGDP比で見て現金の発行残高比率がかなり高い国のひとつで、しかも、1万円札の比率がとても高くなっています。しかも、長らくデフレの状態にありますから、日本語版への前書きにもある通り、ロゴフ教授の考えからして、もっとも高額紙幣の廃止に適した国のひとつということになります。この点については私も異論ありません。日本を離れて、問題となりそうなのは、本書で著者自身も指摘している通り、2点あり、ひとつは途上国などでは、そもそも、銀行口座を保有していない国民が決して少なくない点で、電子マネーやスマートフォンなどを政府から支給して銀行口座を開設させる必要があります。もうひとつはマネーの動きに伴うプライバシーの保護です。そもそも、キャッスレスになればマネーの動きがほとんどリアルタイムで把握できるようになりますから、犯罪や脱税がやりにくくなるメリットがある一方で、個人の消費生活を含むプライバシーも追跡可能になってしまう可能性が高くなります。私はプライバシーについては、すでに何回か表明して来たように、何段階かのプライバシーの違いがあり、個人生活、特にベッドルームなどのプライバシーは当然に守られるべきだと考えていますが、金融取引はもちろん、消費生活などの市場における活動ではプライバシーがなくなっていく方向である点はやむを得ないと考えています。例えば、私は統計局で消費統計を担当していたんですが、対象家計に調査票を記入してもらうのではなく、電子マネーのカードのようなものを統計局から配布して、お給料の振り込みを受け、さらに、支出もその電子マネーですべて行い、統計の対象期間は無条件で電子マネーのお金の出入りを統計局に、リアルタイムでないまでも遅滞なく伝達されるようになっている、というのが究極の統計調査だと思っていました。それが、統計対象家計だけでなく、すべての家計や個人でそうなる可能性が出ているわけで、市場での経済活動についてはプライバシーは諦めるしかないと思っています。

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次に、サミュエル・ボウルズ『モラル・エコノミー』(NTT出版) です。著者は世界的なエコノミストであり、サンタフェ研究所の研究員です。これまで日本ではラディカル・エコノミストとして紹介されることが多かったようですが、本来は、進化社会科学に基づくマイクロ経済学を専門分野とし、少なくとも本書ではとてもリベラルな経済学を展開しています。英語の原題は The Moral Economy であり、2016年の出版です。本書では、進化経済学の立場からリベラルな市民社会における市民の行動原理を明らかにするという、何と申しましょうかで、とても壮大なテーマに挑戦しています。その際、上の表紙画像の副題などにも見られる通り、モラルとインセンティブを対比させる議論を基本にしています。そもそも、アダム・スミス以来の経済学では人間の行動動機の中核に博愛心ではなく、利己心を据えています。ですから、メカニズム・デザインをひもとくまでもなく、制度や政策を設計する際には、この利己心をうまく活用するインセンティブを組み込むことで、人間や企業を最適状態に導くことが可能であると考えられてきました。しかし、本書では人間の不合理性ではなく契約の完備制の問題からスミス的な見えざる手は有効ではなく、インセンティブに基づく制度や政策に疑問を呈しつつ、逆に、金銭的なインセンティブは人間が元来もっている責任、義務、利他性といった「市民的な徳」を、かえって弱める可能性を指摘しています。例えば、託児所での子供の引き取りの例などから、罰金による特定の行動の抑制が、罰金が遅刻対する対価と解釈される可能性として誤って受け止められたり、あるいは、広くインセンティブのもつ他律性が、人間の自律性を抑える可能性について、インセンティブに依存する制度設計に対する批判となっています。リベラルな市民社会では、参加の自発性、選好の中立性、パレート効率性の3者はリベラル・トリレンマにより同時には成立せず、制度設計の際は、インセンティブに頼るのではなく、互恵的で他者考慮的な価値を育み、人々が協力に向かうようルール形成する必要がある、というのが本書の結論となっています。ただ、市場における行動を分析しようとするマイクロな経済学では価格のシグナルというインセンティブがかなり有効である一方で、家族や市民社会における非経済的な行動ではインセンティブよりもより自律的な行動原理、特に、市民的な徳をもってする行動原理を考慮する必要があり、実際には行動経済学的な試行も必要になるような気が私はしています。なかなかの大作です。

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次に、サミュエル・ボウルズ&ハーバート・ギンタス『協力する種』(NTT出版) です。著者は2人ともサンタフェ研究所の研究者であり、本書の英語の原題は A Cooperative Spieces であり、2011年の出版です。邦訳のタイトルは直訳だったりします。本書はサンタフェ研究所系の研究者の著作らしく、とても学際的な仕上がりとなっています。ある意味で、文化人類学であり、また、進化社会学であり、私のようなエコノミストにとっては実験経済学とゲーム理論で人類の協力の進化の過程を明らかにしようと試みているように見えます。前に取り上げたボウルズ『モラル・エコノミー』と同じで、契約の不在もしくは不完備性から済素敵な見えざる手の役割が不十分となるとの仮定から議論を進めています。ゲーム論的に数学が駆使されており、しかも、パラメータに実際の数値例を援用したシミュレーション結果もいくつか示されています。基本的には、人類の利他性の涵養と協力の進行、ないし、利他的もしくは協力性の高いグループの生存可能性の高まりや繁殖可能性の増大などに関して、理論モデルの構築という壮大な試みなんですが、とてもリベラルな内容になっています。結果的に、人類間で協力を支える制度が共進化する条件を理論モデルを基にして明らかにしつつ、同時に、文化人類学や古生物学・考古学、さらには、遺伝学などの各種の実証データを自由自在に利用して、極めて長期に渡る人間進化の歴史が、抽象度の高い数理モデルによってうまく捉えられているの事実を主張しています。ハッキリいって、大学院も博士後期課程のテキストにも利用できるくらいのレベルの本ですので、立論の基本となっているプライス方程式をはじめ、専門外の私に十分理解できたかどうかは自信がありませんが、ゲーム理論を基盤として人間の社会と心の進化を説明しようとしたことに、私はびっくりしてしまいました。最後の解説で細かな用語法に関する瑕疵が指摘されていたりしますが、物の数ではありませんし、著者と解説者のレベルの違いすら悲しく感じられます。最後に、付録として12のテーマに渡ってテクニカルな解説がなされているんですが、その中のA2のエージェントベースモデルについてはとても参考になりました。こういった付録も、ひと通りは読み飛ばしておくべきかもしれません。

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次に、池田純一『<ポスト・トゥルース>アメリカの誕生』(青土社) です。著者は電通ご出身のコンサルタントであり、各党予備選の段階から昨年2016年の米国大統領選挙をたんねんに取材し、WIRED.jp に連載されたリポートを取りまとめて本書を発行しています。本書にもある通り、タイトルとしている post-truth とはオックスフォード英語辞典の用語であり、客観的な事実より感情的で個人的な信念の方が世論形成に影響を与える状況のことを指す、という意味らしいです。このあたりは受け売りです。本書のはしがきの段階から、本書のリアルタイムのリポートは「あてが外れた」感いっぱい、と著者自身が称している通り、予備選途中から米国大統領選挙でトランプ現大統領が本選でクリントン候補をかわして当選し、さらに、ごく初期の政権移行段階までをフォローしています。ただ、始まりの時点は予備選すべてではなく、例えば、いわゆるスーパーチューズデーは含まれていません。その米国大統領選挙をリアリティショーと位置づけ、意図的な炎上を含む本音トーク的なトランプ大統領自身によるツイート、フォロワーによる拡散とそれに伴うバズの拡大、テレビなどのマスメディアでの取り上げ、さらなる話題性の向上、知名度をさらにましたトランプのさらなるツイート、以下同様……というメディア・サイクルの循環が大統領選挙をハックし、それこそがトランプ大統領ののメディア戦略ではなかったのか、そしてそれが当選につながった可能性を指摘しています。まあ、いわゆるラスト・ベルトのヒルビリーによるトランプ支持の高さなども触れられていますが、大統領候補者によるテレビでのディベートなど、ほとんど政策論議らしきモノがなかった米国大統領選挙をメディア戦略で締めくくるのは、エコノミストとしてはやや疑問が残りますが、まあ、そうなのかもしれません。特に、クリントン候補が予備選の段階でウィリアムス候補に対抗するために、政策的に左寄りに軸足を移行させた、といったあたりは、TPPに対する態度など、私にも納得できる部分が少なくありませんでした。新聞やテレビといった伝統的なメディアを通じて米国大統領選挙はそれなりに進化を示し、例えば、ケネディがニクソンに勝利したのはテレビ討論会の影響が大きかった、などの歴史的事実もある一方で、昨今のIT技術の発展とそれを背景とするソーシャル・メディアは米国大統領選挙にとどまらず、先進国の意思決定に大きな変更を迫っています。そこに、サイバー攻撃的な介入、本書でもロシアによるサイバー攻撃の可能性が示唆されていますし、そういった動きに応じて、世論が短期に大きくスイングする可能性も含め、民主主義下での意思決定に及ぼす影響を考え直す時期に来ているのかもしれません。

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次に、亀田達也『モラルの起源』(岩波新書) です。著者は今は東大に移ったようですが、長らく北大でご活躍だった心理学の研究者と記憶しています。本書では、タイトル通りのモラルの起源について心理学的な探求を試みています。はじめにで、いきなり、文部科学省の通達に示された文系不要論への反論から始まり、ひと昔前の国立大学法人化反対論と同じで、大学教員のとても強い現状維持バイアスとか、研究者の視野の狭さに怯みがちだったんですが、まあ、200ページ足らずの小論ですし、何とか読み終えました。第1章では、進化論でよく使われる適応について簡単に検討した上で、自然だけではなく社会生活とまでいわないものの、何らかの群れの生活への適応について論じ、類人猿の脳が発達した原因も、群れの生活で求められる情報処理量の増大によるものと位置づけます。第2章で、人類と同じように、社会性のあるハチやアリと言った今空に着目しますが、このあたりは私には理解できませんでした。そして、第3章で利他性、第4章で共感と進み、最後の第5章で最後通牒ゲームという経済学的な実験も援用しつつ、分配のトピックに入り結論となります。ただ、最後通告ゲームなどでは市場経済の発達度合いによって分配のあり方の規範が異なることが論じられますが、日本を始めとする先進国での議論ではありません。サンデル教授の議論や著作などでで有名になったロールズ的な正義の問題とも関連しますが、私が不明なのは、人間は損得の観点から合理的にモラルを涵養するのか、それとも、損得の観点を超越してモラルを持つのか、という点です。多分、後者だろうと思うんですが、合理的にモラルを身につけるのか、必ずしも合理的でないのかは、エコノミストとしてはとても気になります。

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次に、三谷太一郎『日本の近代とは何であったか』(岩波新書) です。著者は長らく東大で政治学の研究者をしていた政治外交史の大御所です。明治維新以降の近代日本について、欧州をモデルとしつつ、政党政治を生み出し、資本主義を構築し、植民地帝国を出現させ、天皇制を精神的枠組みとした日本の近代をバジョットに依拠しつつ、これら近代日本の4本柱を歴史的、理論的に解き明かそうと試みています。幕藩体制下の合議制や月番制が、明治憲法下の議会制と内閣制などの権力分立制につながり、藩閥政治から政党政治が作られた一方で、特に、バジョット的な議論による統治については日本における定着が十分ではなかった可能性を示唆しています。ただ、幕藩体制下から統治システムとしては日本はかなり立派なパフォーマンスを示していた点も強調されています。資本主義の構築についてはマルクス主義的な資本の原始的蓄積を重視し、後発の資本主義国として民間資本ではなく国家による殖産興業が主要な資本蓄積の手段だったと結論しています。植民地の形成は、あるミニで、侵略でもありますが、その当時の世の習いだったような気もします。本書では、貿易、特に自由貿易と関連付けて議論されています。最後の精神的な支柱としての天皇制については、とても興味深い視点が提供され、すなわち、欧米諸国のようなキリスト教のバックボーンのない日本におけるキリスト教の代替であった、と主張しています。中でも、天皇の署名の後に内閣総理大臣以下の国務大臣の責任を示す副署がない教育勅語を取り上げ、憲法にすら縛られない神聖不可侵な天皇による絶対的な規範となった過程を跡付けています。バジョット的な思考による近代日本の解明はそれなりに私も理解できたんですが、別口で、ハーバーマスの公共性の議論を援用しつつ、政治的コミュニケーションを可能にした文芸的公共性の観点から、森鴎外の一連の史伝ものを読み解く方については、私は理解がはかどりませんでした。教養の不足を実感します。加えて、戦後の吉田ドクトリンに基づく強兵なき富国が2011年3月11日の震災で終了したというのも理解できませんでした。お恥ずかしい限りです。

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最後に、齋藤純一『不平等を考える』(ちくま新書) です。著者は早稲田大学の研究者であり、専門分野は政治理論・政治思想史だそうです。本書は3部構成となっていて、第1部で市民社会における市民の平等な関係について問い直し、第2部ではそういった市民の平等な関係を構築する支えとなる不安定への対応としての社会保障を論じ、最後の第3部では延々とデモクラシーを論じています。とても申し訳ないんですが、私の読解力の不足からか、第3部のデモクラシー論がどこまで格差や不平等と関連付けられているのか、私には読み取れず、著者が不平等に引っかけて自説を延々と展開しているに過ぎない、と感じられてしまいました。特に、何ら明示的な表現はないものの、「熟議民主主義」の賞賛は最近の政治動向を背景としているんだろうと、私は勝手に想像したものの、それが不平等や格差とどう関連しているのかは、本書からは読み取ることができませんでした。デモクラシーがキチンと機能しないと不平等の克服は出来ないということなのかもしれませんが、それなら第2部の社会保障は何なんだ、ということにもなります。ということで、少し不満の残る面もあり、特に、所得や経済的な面から社会保障を不平等に関連付けるのは、少なくとも私にはハードルが高いと感じられました。本書ではベーシック・インカムは否定的にしか取り上げられていませんが、平等化の推進、というか、不平等の克服を社会保障に期待するのは財源の面で、かなりコスト・パフォーマンスが悪い気がします。本書では、熟議民主主義についても、実際に熟議にコストをかけている例を持ち出していますが、そもそも投票に行くコストすら負担しようとしない主権者が何割かいるわけですから、例えば、熟議民主主義を達成するコストを負担できる人だけがデモクラシーを構成するとすれば、逆の意味で不平等につながりかねない危険を感じます。制度や政策を最善のものにしようとする努力はいいとしても、エコノミストとしては、コストを考えずにベストを追い求めるのにはムリがありそうな気がします。でも、本書ではこれも明示されていませんが、就職氷河期のころ卒業した非正規雇用を解消するには、それなりの財政負担も必要なのかもしれないと思ったりします。
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